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2007年12月の11件の記事

2007年12月31日 (月)

酒造り雑感

酒造り雑感

ブログを放置したままですみません。

酒造りが始まると、他の事を考える余裕がありません。

造りが始まる前までは、造りに関する知識を学び直す期間でしたが、造り中は、作業をこなすことで精一杯になります。

酒造りは、観察、気づき、実践、検証の繰り返しにより、味の精度を高めていく作業

言語化するよりも、「身体化する作業」が大事な時期と言えるかもしれません。

例えば、米を蒸す作業にしても、蒸気の香りの変化を感じ取り、蒸米の仕上がりと蒸気温度、吸水率との関係を鑑みながら、最良の蒸米を仕上げるにはどうすれば良いのか、ということを毎日考え、感じ取りながらの作業となります。

違和感。何か違うぞ、という感覚。

この感覚が非常に大事なのです。

おかしいと思った時に、どう対応できるかが、「現場力」といったもので、知識だけではダメですし、感覚だけでも対応ができないと思うのです。

自分の中の尺度を持ち、変化に対応する柔軟性と向上心、が良い酒を造る条件と言えるでしょう。

それを実践するには、健康を維持することが大事だと思っています。

とにかく、この時期は、暇があったら寝ていたいというのが本音です。

今年最後のブログとなりました。

稚拙なブログにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

良いお年を。

2007年12月17日 (月)

醪管理より体調管理

醪管理より体調管理

昨日、今日と、体調を崩してお休みをいただいておりました。

酒造期は体力勝負で、風邪を引くと仕事になりません。

今年は造りに入るまで体を動かしていなかったので、体がなまっていたのでしょう。

 明日から体調を万全にして造りに臨みます。

 しかし、身体のβ化が著しいと感じる今日この頃です。

2007年12月14日 (金)

稀な詩人

稀な詩人

昔、犬を飼っていました。

血統書には、「Rare Poet(稀な詩人)」という立派な名前が付けられていました。

とても品があり、誰からも好かれた犬でした。

私個人の思い出話はさておき、本日は、最近気になっている山形の生んだ夭逝の“稀な詩人”、「日塔貞子」さんを紹介したいと思います。

日塔貞子さんは、河北町西里の旧家「カモン様(逸見家)」に生まれます。

「カモン様」は地元の名士で、曾祖父・魯斎は、本沢竹雲と共に江戸の安井息軒門下で儒学を学び、帰郷すると「西里小学校」を創り、子弟の教育に力を注いだ教育者としても知られています。

祖父・松雲は漢学者であり、「格知学舎」において、日塔貞子の母セツの父「國井門三郎(経崇)」と共に学び、親しい間柄で、お互いの子ども同士の縁組を決めました。それが日塔貞子の両親となります。

地元の名門同士の結婚。

しかし、日塔貞子の母セツは、貞子が生後1年迎える前に、「カモン様(逸見家)」を飛び出します。

さらに貞子が4才の時、「カモン様」は没落、祖父母とともに河北町西里を離れます。

上山に1年いた後、5年間、山形市の山形師範学校正面前の家で暮らすことになりました。

Photo 旧山形師範学校。現在、教育資料館となっている建物。当時と同じたたずまい。

う~ん。これ以上は「雪に燃える花―詩人日塔貞子の生涯―」を読んでください。

日塔貞子さんの人生は、映画化されてもおかしくないくらいにドラマチックです

  Photo_2日塔貞子さんの残した、詩集「私の墓は」(桜桃花会発行)

心に響きます・・・。

 本日、1214日は、日塔貞子さんの誕生日になります。

 もっと多くの人に知ってもらいたい人物です。

 

 

参考文献

 雪に燃える花―詩人日塔貞子の生涯― 安達 徹著 桜桃花会(2007年)

 本沢竹雲先生略伝 財団法人冨安財団 

2007年12月12日 (水)

天下を取ろう!―ちろりちょこの野望―

天下を取ろう!―ちろりちょこの野望

昨日、ある野望を実現するために、税務署へ免許申請に行きました。

法律が改正となり、昨年より新規参入ができるようになった業種への参入となります。

まだ、ここではっきりと書くことができませんが、実現するとなると、私の実行しようとしていることは、「山形初」で全国的にも珍しい事例になると思います。

自分にできることを、目の前にあることから一つ一つ処理していく作業が日本酒の世界においても求められています。

このブログでお伝えしてきたメッセージを直接伝えられるような場を提供していきたいと考えています。

免許が下りたら、具体的なことをお話させていただきます。

ちろりちょこによる「日本酒復権への第一歩」の具体的実践がいよいよ動き出し始めました。

さて、酒造りが本格化してきましたので、ブログの更新は本当に不定期更新となります。

気が向いたら更新します。

2007年12月11日 (火)

こ、これは、お庭の「最高存在の祭典」やぁ~

こ、これは、お庭の「最高存在の祭典」やぁ~

Photo「ちょんまげの里」、天童市の貫津の近くに干布(ほしぬの)地区があり、ここ に観光名所となっている「御苦樂園(ごくらくえん)」があります。

  

Photo_2 パンフレットによると、山形正宗の創業者 水戸部弥作氏が、昭和初期の不況下に、失業対策として築庭したものなのだそうです。

  

  

「この事業には、一日に50人から300人ほどの人夫を使い、夏冬をとおして8年の歳月を要した。」って、どれだけの費用がかかったのか想像つかないですね。

戦前の金持ちのレベルは並外れたものがあり、薩摩治郎八のような破天荒な金遣いをする人物がいたりと、豪快な逸話を聞くことがありますが、水戸部弥作氏が行った、私財を投じ個人が救民対策をするという「御苦樂園」の話も後世に伝えていきたいものだと思います

Photo_3 庭は自由奔放、型にとらわれていません。金言格言が刻み込まれた巨石の数々に圧倒されます。

  

Photo_4 書いてある内容も素晴らしい。

東屋跡で説明を聞いている時に、正面に見える石を積み上げてできた「宝来山」を見ていたら、ふと、感じるものがありました

こ、これは、お庭の「最高存在の祭典」やぁ~

  

  

フランス革命でロベスピエールが行った「最高存在の祭典」のシンボル「山岳」にそっくりではないですか!

キリスト教に代わる「理性」崇拝の儀式、それが「最高存在の祭典」。

スケールがでか過ぎる

弥作さん、「御苦樂園」に秘めたメッセージをしっかりと読み取らせていただきました(私の思い込み・・・ですか?)。

Photo_5 なんと、そんな私を見守ってくれていたのか、母屋の欄間を写した際、「オーブ現象」まで起こっています(丸い球体が2個写っています)。

  

Photo_6 金言集も400円で購入しました。

  

  

「御苦樂園(ごくらくえん)」。良い気が漲っています。

私は、水戸部弥作氏の精神を今の「山形正宗」にも感じます

2007年12月10日 (月)

気仙沼スーパー「ハマダ」自己破産に思う

気仙沼スーパー「ハマダ」自己破産に思う

先週、気仙沼のスーパー「ハマダ」が自己破産したニュースが飛び込んできました。

負債額36億円。

気仙沼市の財政規模が約230億円(平成17年度)であることを考えると、地元に与える影響は大きいように思います。

さて、その「ハマダ」ですが、スーパーをする前は、戦前まで造り酒屋「浜田屋」を八日町跡地の場所で営んでいたそうです

  

今でもその名残か、市役所の上のほうに「松尾神社」が静かに鎮座しています。

解体された蔵の材木の一部は、名物居酒屋「いろり」の資材に使用されているとの話をきいたことがあります。

名物居酒屋「いろり」は、作家の村松友視さんが紹介して有名になったと言われ、他人のふんどしを借りるようで申し訳ないのですが、こちらのブログの紹介にあるそのまんまの店です。現在も営業しております。

また、造り酒屋「浜田屋」が使用していたタンクは、今でも地元の造り酒屋で使用されているとのことです。

しかし、造り酒屋が転業して成功した話はあまり聞いたことがないですね

2007年12月 9日 (日)

大学選手権第五代表決定戦

大学選手権第五代表決定戦

Photo 本日は、ユアテック仙台で行われた、ラグビー大学選手権第五代表決定戦を観に行きました。

中央大学 対 東北学院大学

ラグビー名門校出身者をずらりと並べる中央に対し、東北学院は無名校出身の布陣。

どれだけ東北学院が中央に喰らいつけるかが焦点でした。

Photo_2 前半の15分くらいまでは、東北学院の必死のディフェンスが中央のアタックを止め、なかなか頑張ってくれました。

しかし、いったんトライを献上してからは、中央大学のトライショーでした。

結果は中央大学の61-0の完封ゲームでした。ただ、東北学院は最後まで切れていなかったので、最後まで楽しむことができました。

両チームの選手たちお疲れ様でした。

Photo_3 本日は、中央大学のプロップ1番に気仙沼出身の菊田選手が出ており、来週の大学選手権第一回戦の早稲田戦に出場となると、同じ気仙沼出身のプロップ3番畠山選手とのトイメン対決となります。

気仙沼の鹿折少年ラグビスクールで学んだ二人が大舞台で激突するとは・・・。

どちらも応援したいのですが、個人的には、中央大学の踏ん張りに期待したいですね。

Photo_4 本日の昼食は、yaman(やまん)」さんのチキンカレーを食べました。

コリアンダー主体の香りが心地よく、スパイスの使い方が上手だと感心しました。

玉ねぎを良く炒めているのか「旨味」がタップリで、トマトの「酸味」とのバランスが素晴らしく、後味もスッキリしています。

Photo_5 日本人受けするインド風カレーとしてはかなり上等だと思います。

これからは仙台来たなら、牛タンよりカレーかな、と思わせる味でした。

ここはオススメです。

2007年12月 4日 (火)

謎の研究所

謎の研究所

山形市、男山酒造の近くに立派な日本家屋があり、そこの表札に「○○研究所」と称する謎の研究所がありました。

半年ほど前に表札がなくなり、現在では入居者募集中ののぼりが立っている建物。

今更ながら気になりましたので、「研究所」名をネットで検索してみました。

すると、何と・・・。

すごく有名な研究所だったのです!

その名も「高橋祐蔵研究所」。

納豆業界では、納豆菌で全国的に知られる研究所でした。

「宮城野菌」、「成瀬菌」と、この研究所の「高橋菌」が日本三大納豆菌種」と呼ばれ、全国の納豆業者が使用しているとのことです。

現在では、上山市に移転し、商品をネットでも販売しているようです。

ところで、ウィキペディアの「納豆」の説明で、日本酒の項目は間違っていますね

納豆菌が日本酒造りで忌避されるのは、麹の汚染微生物として「スベリ麹」の原因となるからで、酵母は関係ないと思うのですが・・・。

2007年12月 3日 (月)

許してちょんまげ

許してちょんまげ

 朝青龍問題も謝罪会見を終え、巡業での人気も上々のようです。

しかし、ワイドショーの報道では、なかなか、「許してちょんまげ」とはいかないようです。

本日は、「ちょんまげ学校」として知られた天童市の「格知学舎」についてお話します。

天童市の五老山の麓に、ひっそりと建つ「格知学舎」は、明治3年に浄土真宗の学僧 本沢竹雲により創立されました。

その指導方針は、地主の子弟らを寄宿させながら、仏教、儒学を通じて人道を説くというものだったそうです。

本沢竹雲は、徹底した反欧米を貫き、明治以降になっても「ちょんまげ」にこだわり続けました。

入学した門弟は、「ちょんまげ」が必須とされ、「ちょんまげ」を剃った者は破門だったそうです。

地元では、戦後になっても「ちょんまげ」姿の人がいたのを見たことがあるとの証言も聞きました。

「ちょんまげ」には日本の文化・美意識が宿っていると信じた本沢竹雲が、今の朝青龍を見たら何と言うのか聞いてみたいものです。

ところで、このブログで 取り上げた義挙、「國井号」の國井門三郎氏の父 経崇氏は、この格知学舎の門下生であったそうです。

Photo_2義挙、「國井号」の國井門三郎氏の写真。

戦後、寒河江市長を一期務められた人物と同一人物と思われます。

息子の國井門三郎氏も格知学舎門下生だった可能性があり、この帽子は「ちょんまげ」隠しだったのでは?と推測されます。

  

「國井号」の逸話は、格知学舎で学んだ「利他」の精神がもたらしたものと言えるのではないでしょうか?  

  

  

Photo_3 写真は大正5年に格知学舎から出版された「梅檀余芳 末」。

2007年12月 2日 (日)

人間五十年

人間五十年

人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか

 

 織田信長が好んで舞ったことで有名な幸若舞「敦盛」の一節。

 この言葉は、一の谷の合戦で平敦盛を討った、熊谷次郎直実の心を現したものなのだそうです。

 そう言えば、このブログで実名が出てくる人には「熊谷」の姓が多いですね。

ただの偶然です・・・。

 熊谷次郎直実は、後年、法然の弟子となり「法力坊 蓮生」を名乗ります。

 京都でも屈指の紅葉の名所、長岡京市の光明寺は「法力坊 蓮生」開基の寺です。

今年は熊谷次郎直実が亡くなって800年。ゆかりの寺では、800回忌法要が行われました。

ところで、織田信長を御祭神としてお祀りしている神社があるのをご存知ですか?

建勲神社(たけいさおじんじゃ)」です。

ある酒蔵では、松尾様ではなく、織田信長公をお祀りしています

日本酒業界の「天下布武」はここから始まる!

2007年12月 1日 (土)

寒河江善秋さんのこと

寒河江善秋さんのこと

東国原知事が、規律を身につける機関として推奨しているのは宮崎県の「産業開発青年隊」のことのようです。

 かつて山形県でも「産業開発青年隊」を推進し、青年団活動を通じ、全国にその名を知られた人物がいました

 その名も「寒河江善秋(さがえぜんしゅう)」。

 幅広い人脈で知られ、中国の周恩来氏などとも交流があったそうです。

 歌手の加藤登紀子さんとも交流があり、折りに触れて、「寒河江善秋」氏のことを書いております。

 そんな「寒河江善秋」氏にまつわる話をします。

 山形市には、休日になると家族連れなど大勢の人でにぎわう場所があります。

 千歳山の麓、平清水焼きの「七右エ門窯」の陶芸教室

 「七右エ門窯」で陶芸教室を始めたきっかけは、「趣味社会」の到来を予見していた「寒河江善秋」氏の強い要請があったことだそうです。

「寒河江善秋」氏は山形県人会を「七右エ門窯」で開催し、そこで「荻の源蔵そば」さんのそばをふるまったりと、アイディアにあふれた人物だったそうです。

「七右エ門窯」の陶芸教室は、そういう人脈から口コミで人気となっていったそうです。

「七右エ門窯」の売り場に掲げられている書は、「寒河江善秋」氏から届いた書簡で、中国の故事にちなんだことを書いてあります。

 一人の人物との出会いから運命が変わる、そんなことがあるようです。

 出会いを大事にしたいものです。

 今年は、「寒河江善秋」氏が亡くなってからちょうど30年目にあたります。

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